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ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ

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§ 大人と子供

繋いでないので全体像が見えてないのですけど
TVとかってまだ安全デマ振りまいているのだろうか?
今夜はNHKで福島原発放射能汚染マップとかいうETV特集の再放送をやるようだけれど

電力足りないデマはようやくどこぞの新聞(確か東京新聞)で記事上がって
修正されつつあるのかな
電力足りない足りないryはとりあえず置いておいて

今日みたいに昼間に近所うろうろする機会があると
原発事故なんてなかったみたいにふつーの様相
文科省のモニタリング計測値を見て大丈夫とか思ってるのかな
都内計測は地上18mとかだったりするのだけど
そういう認識ってTVとかでは共有されてないのかな

TVで共有されてなかったとして
総務省のインターネット普及率とかの調査報告によると
相当の人がネットに繋がってるはずなんだけど
日常を肯定し享受し受容しよう的思考停止の大人が多いってことなのかな

それともICRP基準が絶対的に正しくてECRRとかの勧告なんてry
個人のとりうべき回避方法なんて考える必要ないと思ってるのかな

被曝野菜どんどん給食に取り入れるよ
被曝牛乳混ぜちゃえば基準値満たすからおk
国の決めたあのすごい基準値より1Bqでも低ければ流通し
食卓に並び大人も子供もそれを食べる
今まで独自でやってきたけど
今回は独自で検査公表すると風評被害になるからしませんとかいう某生協とか
被曝瓦礫も空間線量だけ計って受け入れましょうとかいう自治体とか
大人ルール全開の環境の中で
まさか高さ18mのコンクリ地面で計った数値頼みになってないよね?
まさかまさか子供を泥んこ遊びなんてさせてないよね?
雨降りに遊ばしたりしてないよね?

子供が親の刹那的に生きる価値観を共有できる年齢なら理解出来なくもないけど
実際そういう光景を本当に目にしてしまうととてもとても心配になる
子供は親を選べない


ぼくは10代の頃から子孫を残さない事を決めてきてるので
多少の被曝は甘んじて受け入れ、やれることをやるというスタンスでかんとーにおります
とはいえ
5月上旬に公開された3月25日時点のW-SPEEDIの土壌汚染累積(予測)マップ見たら
その後の累積、そして今後の展開如何で多少じゃない気もするんですけど(笑)
空間線量的にはうちの近所で地上1m地点でガイガーされてる人の平均値は0.2μ/h
0.2μSv/h*24H*365D=1.75mSv/y
線量的にはまだだけど降下物的にはぼくの住むかんとー地域は立派に放射線管理区域
というかんじ
雨とかホットスポット的に降ったらまた変わるよね
まぁそれも時間の問題

ぼくは子供いないし、子供作る予定もないから
ぼく自身の事に限って言えば別にそこまで声高に叫ぶ必要なんてないんだよね
子供育ててる人とか妊娠中の人とかこれから生み育てる予定ある人とか
多分沢山いると思うんだけど…
大丈夫なのかな

原発被災地もそうだけれどかんとー民も集団同調性バイアス的なものに
縛られているのじゃないのかと不安です
3月からずーっと思ってるけど
20㍉問題を筆頭に、子供に対しての大人たちの対処の仕方が余りにも無防備過ぎな気がしてならない

理不尽なことに対する怒りを憤りを
叫ぶ声に対してジャッジするという行為のみで代替昇華したりなんてしてないよね?
違うアプローチでも何でも積極的に何か子供の為にやろうとしてるんだよね?
と信じるしかない



えっとコメ読みましたがオープンにしてよいのか不明なので
コメ返信&その他を続きにて


 
ともかく
"一部を全体適用したこと"を認識して貰えたのは
とてもよかったと思います
あまつさえ"非があった"と認められたことはむしろ潔くて清清しい
これだけでも超駄長文費やした甲斐があったものだ
読むのも疲れたでしょう。読んでくれてありがとう

しかしね
まぁぼくのような宙ぶらりんで中途半端な人間にさえも
ある特定の一部の人間とだけつるんでてください!的な事言えちゃう排他的考え方は
あなたが過去指摘していた、もっとも組したくない種の人間の持つような考え方なんじゃあないのかな
とぼくは思うのですがその辺如何ですかw

確か過去に、自分はオープンマインデッドだけれど相手が狭量だから
(自分は手を差し伸べる準備はあるけど相手が嫌がりそう…だっけ?)
握手できそうにもないな~的な事を読んだ記憶があるのだけれど
これは新手の自己批判なのか(笑)
おいおい、敷居たけーなぁとw


あとまぁ言葉遊びするつもりはないのだけど
過去自分の"哲学"として語り、主張してきたものを
ある日突然、世論調査結果(笑)に示された方向性に擬え
更にそれが、こういう方向性を示すことは予見していたから
自分の"哲学"の方向性は間違っていなかったんだみたいな

勿論"哲学"の方向性は間違ってなかった等とは一言も書いてないけれど
予見していた世論の変化を取り上げて
それが自分の"哲学"として主張してきた事とそう変わらない
と導いてるわけだよね?違ったらご指摘を

自分の"哲学"→"哲学"に基づき予見の範囲内で主張→予見に近い世論調査の結果→自分の"哲学"の方向性は現実に即している?

というような印象なのだが

もしそういうロジックであるならば
それもう"哲学"を"考え"とか"思うこと"とかに置き換えちゃった方がいいんでないのかな
多分その方が肩の力抜いて話できるんじゃないのかな
"哲学"とか言っちゃうから上から発言が過去連続してるんでないのかな
というのがぼくの率直な感想

使え使うなって事を言ってる訳ではない(言葉狩りのつもりはない)けれど
世論調査の追認を求める"哲学"なんて少なくともぼくは聞いたことない
いや別に求めちゃいないよってとこなんだろうけど
思考が補完を求めてるじゃない?
別にいわゆる哲学者と認知されてる人だけが"哲学"を語れるとかそういう風には思ってはない
でも"哲学"を連呼することで見えなくなってる事があるように思う

柔軟すぎる思考はアレだけど柔軟な思考は大事だとぼくは思うよ
"哲学"という言葉の為に全力疾走して中身がついていけてないというか
空回りしているというか
すごく負担が大きいように感じる
勿論"哲学"という言葉で切りさった後に残る犠牲とかもそうだけども

地震、原発事故、放射能汚染、健康、安全、経済的ぱにっく
色んなものがいっぺんにきて、機能すべきところが機能していない状態が継続している
ストレスも相当だと思うし、自分がしゃんとしていなければという思いは何となく伝わる
書くことでストレス発散してる気もするし、思考まとめようというのも見える

でも、怖いよ、不安だよ、泣きたいよ、どうしたらいいのかわからないよ
そういう気持ちもほんとはあるはず
冷静に冷静にって自分を押し殺してるところもきっとあると思う
そういうのが一気にどこかへ向かわないように頑張ってるのかなとも思う

でもあんまり、自分の発した言葉にがんじがらめにならんようにと願います

2011/05/19/Thu 14:30:39  khaos/CM:0/TB(-)/
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 内緒です♪

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